撮る価値のある建築——一世紀の建築を巡る
有名な建築は多い。写真になる建築は少ない。その差のあるところに、建築写真の多くの失敗がある。有名な場所に着いて、建築がカメラに対してどこにも自分を開かないことに気づく。
以下の28の建築は、写真に対して何か具体的なものを持っているという理由で選んだ。光の質、素材の表面、空間の緊張、目が追いきれない規模。竣工年順に並べている。
バルセロナ・パビリオン — ミース・ファン・デル・ローエ(1929年、1986年再建)
パビリオンは1929年のバルセロナ万博のために建てられ、同年に解体された。現在のものは1986年に同じ場所に再建されたものだ。写真に撮るのはその歴史ではなく、表面だ。ティノス島産の緑の大理石、オニキスの壁、反射池の静止した水面。ミースは建築を部屋ではなく平面の連続として体験させようとした。その連続は、すべてを一度に見せようとしない写真によく読める。早朝に人がいなければ、大理石に水平な光が当たる。

画像: バルセロナ・パビリオン / Wikimedia Commons, CC BY 3.0
ヴィラ・サヴォア — ル・コルビュジエ(1931年)
ヴィラ・サヴォアはパリ郊外の平坦な敷地に建ち、ピロティに持ち上げられた白い水平な形が芝生の上に浮かぶ。カメラに与えるのは明快さだ——ル・コルビュジエの建築の五原則が、1枚の外観写真に全部読み取れる。難しいのは、その明快さが写真を図解的にして、人が住む場所に見えなくする点だ。内部のランプは長いトップライトから光を受けており、外観より撮りにくいが、その分手応えがある。

画像: ヴィラ・サヴォア / English Wikipedia, CC BY-SA 3.0
落水荘 — フランク・ロイド・ライト(1939年)
落水荘はアメリカ建築で最も多く写真に撮られた住宅で、定番の構図——川の低い位置から、滝の上にキャンティレバーのテラスが積み重なる——には定番になるだけの理由がある。建築がそれを正当化している。あまり撮られないのは内部で、荒削りな石の壁と水平な窓が向き合い、天井が低く押さえられている。谷の光は固有だ。曇りの日はコントラストが拡散してコンクリートのオークル色が出る。直射日光はテラスをバラバラな形に分断する。

画像: 落水荘 / Wikimedia Commons, CC0 1.0
広島平和記念資料館 — 丹下健三(1955年)
丹下はメインの建物をピロティで持ち上げ、反射池越しに原爆ドームへの直接の視線を作った。その視線が写真だ——建物の下の矩形の空隙の中心に、ドームが収まる。偶然ではなく、丹下が設計した光景をカメラが記録するだけだ。正しい距離に立てば、構図は自然に成立する。光は朝が強く、ドームが照らされる時間帯に資料館の内部は影になる。

画像: 広島平和記念資料館 / Wikimedia Commons, CC BY-SA 3.0
グッゲンハイム美術館(ニューヨーク) — フランク・ロイド・ライト(1959年)
外部のスパイラルは明らかな被写体だが、ビルが建てる5番街から建物を引いて撮れる距離がない。内部が写真だ。中央のアトリウムを傾斜路から見下ろすか、床から見上げるか——どちらの角度もスパイラルを一つの垂直な言明に圧縮する。天窓からの自然光は時間とともに変わる。人の少ない時間帯の早朝に訪れると、内部の写真が撮りやすい。

画像: グッゲンハイム美術館(ニューヨーク) / Wikimedia Commons, CC BY 2.0
TWAフライトセンター(現TWAホテル) — エーロ・サーリネン(1962年)
JFKのサーリネンのターミナルは現在ホテルのロビーで、搭乗券なしで入れる。コンクリートのシェル——2つの交差するバレルヴォールト——は外観から見ると鳥と波の中間のような形だ。内部では赤いカーペットがあらゆる方向に曲がる空間を通り抜ける。まっすぐな壁がない。建物が最もよく撮れるのは、中央ホールに向かって管状の連絡通路から撮ったときで、見えない支えで天井が浮いている。
画像: TWAフライトセンター(現TWAホテル) / Wikimedia Commons, CC BY-SA 4.0
代々木第一体育館 — 丹下健三(1964年)
1964年東京オリンピックのために建てられた体育館は、2本の中央マストからケーブルで吊られており、カテナリー曲線を描く屋根がマスト間にかかる。真上から、あるいは遠くから見ると構造が明確に読める——大きな方がメインアリーナ、小さな方がサブプールを包む2つの流れるような形。地面では、南からのアプローチでマストの基礎とケーブルの取り付け部分が見える。代々木公園内にあり、外部は通年アクセスできる。

画像: 代々木第一体育館 / Wikimedia Commons, CC BY-SA 3.0
ソーク研究所 — ルイス・カーン(1965年)
カリフォルニア州ラ・ホヤのソーク研究所は、太平洋に向かって開くトラバーチン張りの中庭を持ち、中央を細い水路が走る。春分・秋分の前後の夕暮れ時、水路と沈む太陽が一直線に並ぶ。中庭の端から撮る写真——水面に反射した太陽、左右対称に後退する2棟のコンクリートの研究棟——は建築写真で最も複製された画像の一つだ。カーンのコンクリートは潮風でパティナが出る。表面は時間帯と季節によって変わる。

画像: ソーク研究所 / Wikimedia Commons, CC BY-SA 4.0
中銀カプセルタワービル — 黒川紀章(1972年、2022年解体)
タワーは保存論争を経て2022年に解体された。残っているのは写真だ——建物は生涯を通じて多くの写真家を引き寄せたため、記録は豊富にある。140のカプセルそれぞれに円形の丸窓があり、東京のスカイラインに対するその積み重なりは、日本の都市風景で他に類のないイメージを生み出した。カプセルは本来交換可能なものとして設計されたが、実際に交換されたものは一つもなかった。タワーの写真は今、存在しないものを記録している。それが写真の読まれ方を変える。

画像: 中銀カプセルタワービル / Wikimedia Commons, CC BY-SA 3.0
シドニー・オペラハウス — ヨーン・ウッツォン(1973年)
シェルの形は立つ場所によって異なる見え方をする。サーキュラー・キーからは重なり合う貝が白い塊に圧縮され、水上からは個々のシェルが分離して見える。ウッツォンはシェルをマットホワイトのタイル——100万枚以上、山形模様に並べた——で覆っており、光と背景の空によって色調が変わる。建物が最もそれ自身であるのは、内部が点灯し西の光がまだシェルに当たっている夕暮れ時だ。望遠レンズでタイルの表面を撮ると、素通りする目には見えない細部が現れる。

画像: シドニー・オペラハウス / Wikimedia Commons, CC0 1.0
ポンピドゥー・センター — レンゾ・ピアノ&リチャード・ロジャース(1977年)
建物はインフラを外に出した——ダクト、配管、エスカレーター、構造部材——そして機能別に色分けした。赤が動線、青が空調、緑が水道、黄が電気。広場から見ると、建物は自分自身の図解だ。ファサードを斜めに走るエスカレーターの管は最もよく撮られる要素で、その理由の一つは、人を運ぶことで静的なイメージに動きが生まれるからだ。周囲が平坦なため、密集した地区にもかかわらず遠くから建物を見ることができる。

画像: ポンピドゥー・センター / English Wikipedia, GFDL
光の教会 — 安藤忠雄(1989年)
教会は大阪府茨木市の住宅地にあるコンクリートの箱だ。安藤は祭壇の後ろの東壁に十字形の開口を切った。朝の光がそこから差し込み、コンクリートの床に光の十字を描く。その十字が写真で、それは午前中の数時間しか存在しない。信者席は足場板でできている。建物の収容人数は約100人。内部の撮影には礼拝や見学ツアーの時間に訪れる必要があり、アクセスは限られるが、訪問がより意図的なものになる。

画像: 光の教会 / Wikimedia Commons, CC BY-SA 3.0
ルーヴルのピラミッド — I.M.ペイ(1989年)
ピラミッドは高さ21メートル、ガラスと鉄鋼製で、ルーヴルのナポレオン中庭に据えられている。被写体はその周囲との関係だ——ガラスの透明性、背後のバロック様式の宮殿のファサードに対するピラミッドの幾何学的な精度。夜は内部が照らされ、ピラミッドが下から光を放つ。最もよく撮れるのは正面からの定番の構図ではなく、中庭の角からのアングルで、ピラミッドが宮殿の翼の間に収まる。

画像: ルーヴルのピラミッド / English Wikipedia, CC BY-SA 3.0
世田谷村 — 石山修武(1997年〜)
石山の東京・世田谷の自邸は、1975年から継続的に建設・改変されている。従来の意味での完成した建築ではなく、数十年にわたって下された決断の蓄積だ。部屋や素材や構造が、状況と資源の許す限り付け加えられてきた。写真の被写体として、決定的な一枚に抵抗する。連作として記録する方が、単体のイメージより向いている。個人の住宅であり一般公開されていないため、アクセスはドキュメンタリー写真や出版物での紹介に限られる。

画像: 世田谷村 / setagaya-mura.net
埼玉県立大学 — 山本理顕(2000年)
山本はキャンパスをひとつの通りとして設計した——すべての機能を収める単一の長い建物で、外部に開いた廊下が互いにつながる。内外の境界は意図的に曖昧だ。建物は埼玉県越谷市にあり、キャンパスは見学できる。撮れるのは反復だ——メインの建物に沿って走る列柱廊、フロアごとに積み重なる透明な廊下。そして建物がパブリックとプライベートの空間を分けずに連続させている様子。

画像: 埼玉県立大学 / Wikimedia Commons, CC0 1.0
せんだいメディアテーク — 伊東豊雄(2001年)
メディアテークの構造システム——13本の中空の鉄管柱、それぞれが束になったパイプから成る——は、通りからガラスのファサード越しに見える。床はガラスのスラブで、管は各フロアを不規則な円柱として貫き、建物全体が透明な断面図として読める。内部では、管が写真の被写体だ。一本一本が直径もパイプの配置も異なり、ガラスの床を通る光が高さによって鉄の色を変える。建物は2011年の地震に耐え、その後の災害対応の拠点となった。

画像: せんだいメディアテーク / Wikimedia Commons, CC BY 2.0
30 St Mary Axe — ノーマン・フォスター(2003年)
ガーキンという俗称は正確だ——形は上下で細くなり、6階が最も幅広い。外皮は鉄鋼とガラスのダイアグリッドで、層の間を螺旋状の換気シャフトが走る。ロンドン・シティの路面からは、建物を切り離して撮るのが難しい——高さの異なるビルに囲まれており、距離を置いて望遠で撮るしかない。最もよく撮れるのは西から夕方の光が当たるとき、ガラスに光が差し込み周囲のビルが陰になる時間帯だ。
画像: 30 St Mary Axe / Wikimedia Commons, CC0 1.0
地中美術館 — 安藤忠雄(2004年)
安藤は美術館を直島にほぼ完全に地下に埋め、屋根を地面と同じ高さにして、トップライトで地下のギャラリーに自然光を取り込んだ。ジェームズ・タレルの部屋とウォルター・デ・マリアの部屋は、時間と季節によって変わる特定の光条件のために設計されている。作品の撮影は制限されているが、コンクリートの動線空間——階段、廊下、空に開かれた中庭——は現代建築でも最も統制されている撮影環境の一つだ。チケットは売り切れる。事前予約が必要。

画像: 地中美術館 / Wikimedia Commons, CC BY-SA 3.0
蟻鱒鳶ル — 岡啓輔(2005年〜)
岡啓輔は2005年から東京・新宿で、この鉄筋コンクリートの建物を一人で手作業で建設し続けている。名前は岡が現場で観察する虫をカタカナ表記したものだ。建物は少しずつ高くなる——一回の打設ごとに——最終的な形はあらかじめ決まっていない。写真の被写体として唯一無二だ。どの都市にも同じものはなく、現在進行中の未完成がその意味の一部を構成している。敷地は路面から見える。

画像: 蟻鱒鳶ル / Wikimedia Commons, CC BY 4.0
国立新美術館 — 黒川紀章(2007年)
黒川の2007年の死の前の最後の主要作品は、200メートルの全長にわたって凹凸の曲線が波打つガラスのファサードが特徴だ。規模を一枚の写真に収めるのが難しい——広角レンズは曲線を歪め、望遠は圧縮する。建物は部分ごとに、建築としてではなく抽象的な形として撮るのが向いている。内部ではアトリウムの床から2本の逆円錐形のコンクリートが屋根に向けて立ち上がり、その間の空間にレストランがある。

画像: 国立新美術館 / Wikimedia Commons, CC BY-SA 3.0
北京国家体育場(鳥の巣) — ヘルツォーク&ド・ムーロン(2008年)
スタジアムの鉄骨構造——4万2千トン——は、不規則に絡み合う枝の巣のように見えるよう設計された。遠くから見ると形が整合し、近づくとあらゆる角度で交差する鉄骨の絡まりに溶けていく。どちらの距離も間違っていない。建物は広いプラザに囲まれており、360度のあらゆるアプローチから撮ることができる。夜は鉄骨構造の内部から人工照明が漏れ、建物が提灯になる。現在は競技場としてよりも観光地として機能している。

画像: 北京国家体育場(鳥の巣) / Wikimedia Commons, CC BY-SA 3.0
ポンピドゥー・センター・メッス — 坂茂(2010年)
坂は中国の帽子にインスピレーションを得た、集成材の六角形の格子構造で屋根を設計した。屋根は敷地上に非対称に配置された3本の矩形のギャラリー棟を覆い、その張り出しは建物のフットプリントを超えて延びる。木材の格子は下から見ると連続する幾何学模様として読める。メッスはパリより小さな都市で、美術館は駅近くの公園に位置し、四方からアプローチしやすく、静かだ。

画像: ポンピドゥー・センター・メッス / Wikimedia Commons, CC BY-SA 4.0
House NA — 藤本壮介(2011年)
藤本の東京の住宅は白い鉄骨とガラスでできている——異なる高さのプラットフォームが開いた格子を形成し、従来の意味での床も天井も内外の明確な境界もない。内部は路面から見え、住人が通行人から見える。写真に撮れるのは透明性と重なりだ——異なるレベルで重なり合うプラットフォーム、構造の中や周囲に育つ木。路面からは、建物が人の住む足場のように読める。住宅地の中にある個人の住宅だ。

画像: House NA / Flickr, CC BY 2.0
ヘイダル・アリエフ・センター — ザハ・ハディド(2012年)
バクーの建物は単一の連続した表面でできている——地面と壁と屋根がつなぎ目なく続く。白い外皮はGFRCパネルで、その滑らかさが写真を難しくする。従来の意味での影がない。形そのものが光条件を作り出し、太陽から離れたり近づいたりしながら動く。定番の写真は道路から望遠で全体の形の広がりを収めたもの。近づくと、表面はほとんど無表情に読める。

画像: ヘイダル・アリエフ・センター / English Wikipedia, Public Domain
国立競技場 — 隈研吾(2019年)
隈は軒と外壁の格子状クラッディングに木材を多用した。6万席のスタジアムとして珍しい選択だ。意図は建物の視覚的な量感を減らし、周囲の明治神宮の森と統合することだった。遠くからは、スタジアムが空に対する木材の水平な帯として読める。内部では木材で覆われた軒が、フィールドと上の空を連続した身振りで縁取る。建物は1964年の丹下の体育館と国民的なスポーツの文脈で常に比較されるが、それは居心地の悪い比較だ。

画像: 国立競技場 / Wikimedia Commons, CC0 1.0
大屋根リング — 藤本壮介(2025年大阪・関西万博)
木製のリングが夢洲の万博2025会場全体を囲む。直径約615メートルで、世界最大の木造構造物だ。藤本はこれを会場の境界と集合の場を兼ねる途切れない一本のループとして設計した。一枚の写真に収める規模ではなく、地上からのどのアングルよりもドローン映像の方が形を伝える。リングは幅約12メートル、高さ約12メートルで、上面を歩ける。

画像: 大屋根リング / Wikimedia Commons, CC0 1.0
EARTHMART — 隈研吾(2025年大阪・関西万博)
隈の万博2025のシグネチャーパビリオンは市場の形をとる——屋根のある屋外空間に出店と動線が配される。他の作品と同様に自然素材を使い、テクスチャーを形より重視している。素材の表面に光が斜めに当たるとき、パビリオンは最もよく撮れる。万博のすべての建物と同様に、開催中のドキュメントがそのままアーカイブになる。2025年に撮られた写真が建物の一次記録だ。
画像: EARTHMART / Wikimedia Commons, Public Domain
ブルーオーシャン・ドーム — 坂茂(2025年大阪・関西万博)
坂の万博2025のドームは、紙管と木材による彼の実践を継続する——軽量で、仮設で、解体後にリサイクルできる構造物として設計されている。ドームは内部に海洋環境を収めるが、外観の方が写真として特徴的だ。水辺の敷地に建つ、紙管格子の白いドーム。坂は1990年代からこうした仮設建築の作品を作り続けており、このドームはその長い系譜の延長にある。
画像: ブルーオーシャン・ドーム / Wikimedia Commons, Public Domain