ハッセルブラッドを48年持ち寄る——クラブが中判フィルム文化を残す
壁に掛かるのは、全紙サイズの33点(予定)。会期は7日間である。
けれど、その33点の手前には、冬の三つ峠、秋の八ヶ岳、春の上高地へ出かけた撮影会がある。撮ったあとには研究会があり、選ばれたフィルム作品は銀写真プリントになって六本木の壁へ届く。そして展覧会が終われば、また次の撮影が始まる。
ハッセルブラッドフォトクラブが48年かけて残してきたものを考えるなら、カメラの描写力より、この反復を見るべきだと思う。機材は棚に残せる。文化として残るには、次に撮る人と、次回をつくる約束が要る。
今週見るなら
第45回 ハッセルブラッドフォトクラブ写真展は、2026年8月21日に開幕した。8月27日まで、FUJIFILM SQUARE内の富士フイルムフォトサロン東京・スペース1で開催されている。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 会期 | 2026年8月21日(金)–8月27日(木) |
| 時間 | 10:00–19:00、最終日は16:00まで |
| 会場 | FUJIFILM SQUARE 富士フイルムフォトサロン東京 スペース1 |
| 入館 | 無料、会期中無休 |
| 展示 | 全紙サイズ、カラー・モノクロ計33点(予定) |
| 制作 | フィルムによる作品、富士フイルムの「銀写真プリント」 |
来場前には公式ページで変更の有無を確認してほしい。
この記事の前提
筆者はこのクラブの会員ではなく、第45回展もまだ実見していない。以下は2026年8月22日までに公開された公式ページを、第44回展と2014年の第33回展まで遡って読んだ鑑賞前ノートである。
したがって、個々の作品の階調、色、プリントの仕上がり、会場で交わされる言葉は評価しない。確認できるのは、クラブが公表している活動の型と、展示へ運ばれた結果までだ。その限られた範囲でも、古い機材がなぜ「文化」として残るのかは見えてくる。
機材ではなく反復が文化を残す
公式プロフィールによれば、クラブは1978年に創設され、発足時にハッセルブラッド本社から日本で唯一、その名を冠する許可を得た。写真展は1982年以来連続開催され、2026年で45回目になる。活動は年3回ずつの撮影会と研究会、そして年1回の写真展で構成されてきた。
この三つは、同じ仕事ではない。
| 反復 | 公式資料で確認できること | ここから読める働き |
|---|---|---|
| 撮影会 | 年3回。近年は三つ峠、八ヶ岳、上高地などへ出かけ、作品へ反映したと記す | 一人では先延ばしにしやすい撮影に、日付と場所を与える |
| 研究会 | 年3回実施 | 撮った写真を持ち帰り、展示までの間に他者の目と言葉を通す場になりうる |
| 写真展 | 1982年以来、年1回の連続開催 | 選定、プリント、設営という締切をつくり、私的な撮影結果を公の作品へ変える |
右端は本稿の解釈であり、公式ページは研究会の具体的な内容を説明していない。それでも、撮影会と写真展の間に「研究会」が置かれていることは重要だ。撮って終わりでも、展示して終わりでもない。見る、選ぶ、言葉にする工程が、次の撮影へ戻る余地をつくる。
カメラが文化を保存するのではない。撮影会がフィルムをカメラへ戻し、研究会が写真を人のあいだへ戻し、写真展がそれを紙の上へ戻す。クラブが残してきたのは、この循環である。
2014年と2026年の間に残ったもの
2014年の第33回展は、年3回ずつの撮影会と研究会、年1回の写真展という活動を明記している。さらに興味深いのは、撮影会と研究会ではカメラの機種を問わず、写真展ではハッセルブラッドによる作品だけを展示すると説明していたことだ。
撮影会と研究会の入口では機材を限定せず、発表の場で共通の制約へ戻る。ブランド名を冠したクラブでありながら、学ぶ時間まで所有機材で閉じていなかった。この線引きは、機材を参加資格そのものにするより、長く続けやすい。
第44回展は全紙34点(予定)、第45回展は33点(予定)。いずれもカラーとモノクロを含むフィルム作品を銀写真プリントで展示すると記す。撮影地と点数は変わっても、出かけ、撮り、選び、紙にして壁へ掛ける骨格は残っている。
ただし、2026年のページは「中判フィルムカメラで表現した作品」とだけ書き、ハッセルブラッド限定とは明記していない。出品条件が変わったのか、紹介文が簡略化されたのかは公開情報から分からない。ここは会場で確認すべき差分であり、変化を想像で埋めないほうがよい。
銀写真プリントまで運ぶ
フィルム写真は、シャッターを切った時点ではまだ壁に掛けられない。現像し、選び、プリントし、額装する人が要る。第45回展が33点を「フィルムによる作品」「銀写真プリント」と明記するのは、撮影方式だけでなく、像を物質へ運ぶ最後の工程が残っていることを示す。
初心者向けに補うと、銀写真プリントはインクを紙へ載せる印刷ではなく、感光性のある写真印画紙を光で露光し、化学処理して像をつくる方式である。ただし、これは暗室でネガを引き伸ばし機にかけた手焼きと同義ではない。富士フイルム自身も、銀塩写真仕上げの例として専用印画紙へのレーザー露光方式を説明している。
第45回展の公開ページは、ネガから印画紙までの間にスキャンやデジタル露光を挟むかを記していない。だから「伝統的な暗室プリントが45回続いた」とまでは言えない。確かに言えるのは、撮られた像を画面だけで終わらせず、全紙の写真印画紙まで運ぶ発表形式が選ばれていることだ。
48年は継承の証明ではない
長く続いたことと、次の担い手が育っていることは別である。
公開ページからは、現在の会員数、年齢構成、新規会員の迎え方、研究会で誰が何を教えるかは分からない。2014年と2026年では指導者の名も変わっているが、知識や役割がどのように引き継がれたかまでは追えない。連続45回という数字は、少なくとも今年まで運用がつながった証拠ではある。しかし、46回目を保証する数字ではない。
これは欠点の指摘ではなく、文化を残す条件を正確にするための境界だ。フィルム、現像、プリント、会場のどれかが残っても、それらをつなぐ人がいなければ循環は止まる。逆に、同じ人が永遠に続けなくても、撮影日を決める役、写真を見る役、プリントを手配する役、展示を設営する役が渡されれば、クラブは世代を越えられる。
会場で確かめたいこと
作品を見ることに加えて、可能なら次の四つを聞いてみたい。
- 研究会では、講評、選定、プリントの相談のうち何を行っているか。
- 第45回展の出品作はすべてハッセルブラッドで撮影したものか。
- フィルムから展示プリントまで、誰がどの工程を担っているか。
- 初めて参加する人は、撮影会、研究会、展覧会の循環へどう入るのか。
答えが分かれば、このクラブが保存しているものを、機材名より具体的に語れる。プリントの階調は会場でしか見られないが、文化の継ぎ目は、壁の外側にいる人と役割にも現れる。
次回をつくれるか
写真クラブだから文化が残り、オンラインの集まりでは残らない、という話ではない。場所がどこであれ、撮る日、写真を見せる場、仕上げる締切、次へ戻す機会があれば、反復はつくれる。反対に、ハッセルブラッドを何台所有していても、次の一本を装填する人がいなければ、そこに残るのは機材史だけだ。
第45回展を見るときの判断軸は、どの機種が最もよく写るかではない。この33点のあとに、46回目をつくる動きが見えるか。会期の短い展覧会を、48年続いた文化として見るなら、その問いを持って壁の前に立ちたい。