冬の朝、水堀ごしに見た名古屋城の現天守閣。1959年に鉄骨鉄筋コンクリート造で再建された建物。

あなたの観光写真が、一次資料になる日——名古屋城 現天守閣の記録募集

写真と媒体
アーカイブ; 記録写真; 建築写真; 名古屋城; 市民アーカイブ; 著作権
7001 文字

名古屋市の募集ページに、投稿例が二つ載っている。ひとつは「祖父が名古屋城が出来てすぐに見に行って感動したとよく話していた」。もうひとつは「初めてのデートが名古屋城天守閣でした」。

公的機関が出す募集要項に、初デートの話が例として書かれている。この一文が、今回の事業の性格をよく表していると思う。

2026年8月1日、名古屋市は名古屋城現天守閣の記録の募集を始めた。対象は、木造復元にともなって解体される現天守閣にまつわる画像、映像、そして思い出の文章である。集めたものはアーカイブとして保存し、Webサイトや展示、印刷物に使うことがあるという。

この記事は、名古屋の郷土史として書いていない。自分が撮ったスナップが、他人の使う一次資料になるという事態が、いま実際に開いているからだ。

冬の朝、水堀ごしに見た名古屋城の現天守閣。屋根に金鯱が載る五層の外観
2023年1月の現天守閣。撮影:ノボホショコロトソ、Wikimedia Commons、CC BY-SA 3.0

短い答え

募集されているのは、建物の形ではない。

形のほうは、すでに専門の手が押さえている。整備基本計画には、解体前と解体時に三次元点群データを取り、図面を整備し、仕上材を記録し、部材を採取して保管すると書かれている。ミリ単位の外形は、市民の写真を待つまでもなく残る。

市民に求められているのは、その建物が使われていた時間のほうだ。展示ケースの前に立つ人。七階の展望フロアから何を見ていたか。修学旅行の列。初デートの緊張。点群データはそこにいた二人を持ち帰れない。

だからこの募集に応じるとき、撮り方と添える情報が効いてくる。うまく撮れた一枚より、いつ・どこから・何が写っているかが分かる一枚のほうが、資料としては長く生きる。後半でその条件を整理する。

この記事の前提

筆者は現地取材をしていない。以下は、名古屋城公式ウェブサイト、名古屋市の報道発表、特別史跡名古屋城跡木造天守整備基本計画の第3章、および報道を突き合わせた整理である。確認日は2026年8月13日。

現天守閣の解体着手時期と木造天守の完成時期については、公式の進捗情報ページから特定できなかった。この点は後の節で分けて書く。

何が集められているのか

公式ページで確認できる範囲は次のとおりである。

項目内容
実施時期令和8年(2026年)8月1日から随時。終了期日の記載なし
対象現天守閣に関する画像、映像、思い出やエピソード(文章)
範囲外観・内観、新旧を問わない
方法電子申請(Logoフォーム)、または郵送・ファックス。郵送等の費用は投稿者負担
権利「基本的に投稿者の方に残ります」。ただし市が無償で活用することがある
用途アーカイブとしての保存、Webサイト・展示・印刷物での使用
編集掲載時にトリミングや文字の調整を行うことがある
連絡活用する際の個別連絡は行わない
氏名名前やペンネームを紹介する場合がある。匿名希望は記載可

期限がないことは、この募集の性格を決めている。締切に追われる公募ではなく、開いたままの受け口として置かれている。裏を返せば、いつ集計され、いつ何が公開されるのかも示されていない。

投稿に人が写り込む場合は、可能な範囲で本人の了承を得るよう求められている。古い写真で了承を得るのが難しい場合は、その旨を併せて伝えればよく、市は個人が特定されにくい形で掲載する、あるいは掲載を見合わせるといった配慮を行うとしている。半世紀前の家族写真を出すときに、写っている全員に連絡を取れというのは現実的ではない。この逃げ道が明記されているのは、実務として親切だと思う。

「記録」と「記憶」は、別の棚に置かれている

整備基本計画の第3章は「現天守閣の記録の保存と記憶の継承」という題で、中身が二つに分かれている。

① 記録の保存には、図面・写真、仕上材の記録、三次元点群データ、ストリートビューによるVR、そして採取・保管する部材の候補が並ぶ。銅瓦、破風の錺金具、階段手摺、最上階の漆塗り格天井、小屋裏の寄付銘板、定礎、伝声管。この項目の末尾に「市民の記録」という小見出しがあり、そこに置かれているのは新聞や雑誌の記事である。

② 記憶の継承のほうに「市民アーカイブ」がある。「名古屋城にまつわる写真、映像、エピソードなどを市民から収集し、都市の発展や市民生活とともにあった名古屋城への想いを可視化する」。今回の募集は、こちらの実装にあたる。

つまり、市民が撮った写真は記録の側ではなく、記憶の側に分類されている。新聞記事は記録、市民の写真は記憶。この線引きは、公文書としての扱いの慣行から来ているのだろうと思われるが、写真を撮る側から見ると少し引っかかる。

引っかかったまま考えると、悪い分類でもないことに気づく。記録は正確さを問われる。記憶は、正確さより「そこに誰がいたか」を問われる。市民の写真に期待されているのが後者なら、手ブレも、傾きも、写り込んだ他人の後頭部も、欠点ではなくなる。求められている情報の種類が違う。

専門の記録が写せないもの

現天守閣は、耐震性の問題で閉館している。公式の観覧ガイドは、内観をGoogleストリートビューで見られると案内している。形だけを言えば、内部も外部も、すでに記録の手当てはついている。

それでも市民の写真が必要とされるのは、記録された空間に時間が写っていないからだ。

現天守閣は1959年(昭和34年)10月に竣工した。鉄骨鉄筋コンクリート造で、外観は五層、内部は地下1階地上7階、延床面積5,422.20平方メートル。1階から5階が博物館展示室、7階が展望フロア。エレベーター棟は1997年(平成9年)の増築である。宝暦の大改修後の姿を外観復元したもので、国内には同様に鉄筋・鉄骨鉄筋コンクリート造で再建された天守が13カ所あると基本計画は記している。

この建物は、60年のあいだに何度も中身を変えたはずだ。展示の入れ替え、案内板の書体、照明、来館者の服装、売店に並んでいたもの。それらは図面にも点群データにも残らない。撮った人の手元にしかない。

1945年5月14日、空襲によって炎上する名古屋城天守。黒煙が立ちのぼる
1945年5月14日、炎上する名古屋城天守。毎日新聞社撮影、Wikimedia Commons、パブリックドメイン

焼ける前の天守が高い精度で外観復元できたのは、昭和の実測図とガラス乾板写真が残っていたからだと基本計画は書いている。誰かが撮っておいた写真が、70年後の設計図の裏づけになったわけである。同じことが、いま撮られている写真にも起こりうる。

もうひとつ、面白い前例が同じ章にある。1948年8月5日の中部日本新聞が、名古屋城の復興について世論調査の結果を載せている。再建が必要とする回答が73.6%、構造は「昔のままの木造建築」が44.7%で「近代式建築(鉄筋)」の37.5%を上回り、用途は博物館・美術館が55.6%。市はこの新聞記事を、自らの計画書に一次資料として引いている。市民の声は、78年経てば公文書の根拠になる。

選ぶのは誰か

集める仕組みができたところで、次の問いが立つ。集まったもののうち、何が使われるのか。

注意事項には、活用しない場合として三つが挙げられている。

  1. 投稿ルールに合っていないと判断した場合
  2. 他の方から権利や内容についての申し出があった場合
  3. その他、運営上の理由がある場合

1と2は具体的だ。3は開いている。そして活用する際に個別の連絡は行わないと明記されているので、投稿した側からは、自分の写真が使われたのか、保存だけされたのか、それとも3に該当したのかが分からない。

これを不誠実だと言うつもりはない。件数が読めない募集で個別連絡を約束するほうが無理がある。ただ、「アーカイブに入ること」と「使われること」は別だという理解は持っておいたほうがいい。投稿は、展示に採用されることへの応募ではなく、素材の提供に近い。

写真の編集権が撮った本人から離れる状況については、写真家がいなくなったあと、誰がその写真を完成させるのかでも扱った。あちらは没後の話だが、構造は似ている。撮った人が選ばないとき、選ぶ手が誰なのかは、写真の意味を変える。誰が収蔵と展示を決めているかという制度の側から写真を見る話は、「まなざしの奇跡」東京展を制度史として読むにも書いた。

意見はここでは受け付けない、という線

注意事項にはもう一つ、目を引く一文がある。天守閣木造復元に関する要望や意見は本募集では受け付けない、「市民の声」から送ってほしい、というものだ。

木造復元事業は、費用、工期、バリアフリー対応をめぐって議論が続いてきた。市議会の一部からは、木造復元が前提になっていて現天守閣の記録・保存が十分でない、という指摘が出ていたと報じられている。広沢市長は2026年8月5日の会見で、現天守の価値の保存はもう少し丁寧に進めるべきだと述べたとされる(中京テレビNEWS、2026年8月6日配信)。この経緯は報道による二次情報であり、市の発表資料からは確認できていない。

そのうえで、募集の設計を見ると、思い出は集めるが、賛否は別の窓口へという線が引かれている。運営上は理解できる。エピソード募集のフォームに反対意見が積み上がれば、どちらの目的も達しない。

ただ、写真を出す側としては、この線を知ったうえで出すことになる。閉館前の天守閣を惜しんで撮った一枚は、送り先によって「記憶」にも「意見」にもなる。同じ写真である。どちらの棚に置かれるかは、撮った人ではなく、フォームが決める。

一次資料として残る写真に必要なもの

ここからは、実際に出す人向けの整理である。名古屋城に限らず、建て替え前の校舎でも、廃線前の駅でも同じことが言える。

添えると資料価値が上がる情報

  • 撮影年月日。年だけでも書く。「昭和50年代前半」でも、何もないよりはるかに使える
  • 撮影場所と方向。「本丸広場の南から」「7階展望フロアの北側の窓から」
  • 写っているものの説明。展示名、案内板の文言、イベント名、季節
  • 自分と被写体の関係。修学旅行、家族旅行、勤務先の慰安旅行
  • 人物が写る場合、了承を得たか、得るのが難しい事情があるか

データの扱い

  • リサイズやSNS用の圧縮をかけていない、元のファイルを出す。展示や印刷物に使われる可能性があるなら、解像度は多いほうがいい
  • Exifは撮影日時と機材を伝えるので、消さずに送るほうが資料としては親切である。ただし位置情報が入ったまま出したくない場合は、そこだけ外して、撮影場所は文章で添えるという手がある
  • プリントしか手元にない場合も、募集は郵送を受け付けている。ただし郵送費は投稿者負担で、返却についての記載は見当たらなかった。原本を手放したくないなら、スキャンして電子申請するほうが安全だと思う

撮り方の選択

これから撮れるのは外観だけである。それでも、資料として効く撮り方はある。

  • 同じ場所から、同じ画角で、時期を変えて撮る。定点は後から比較に使える
  • 建物だけでなく、建物と人が一緒に写っているフレームを一枚は残す。使われ方が写るのはこちら
  • 工事の仮囲い、案内看板、足場も撮っておく。解体の過程そのものが記録になる
  • 縦横比や画角の選び方が写真の態度を決めるという話は縦横比は態度であるに書いたが、資料として出すなら、切り詰めるより広く写しておくほうが後の使い道が広い

消える建築をどう見て撮るかという話は、撮る価値のある建築でも扱った。あちらは撮る側の目の話で、こちらは撮った後に他人が使う話である。同じ被写体でも、要求される情報が違う。

確認できたこと、できなかったこと

確認できたことは、募集の枠組みそのものである。開始日、対象、方法、権利の扱い、活用しない場合の基準、そして基本計画のなかでこの募集がどこに位置づけられているか。これらは一次資料に記載がある。

特定できなかったことは、次のとおりである。

  • 現天守閣の解体着手時期と木造天守の完成時期。名古屋城公式の進捗情報ページは、木材の製材や石垣調査といった準備段階の報告にとどまり、時期の記載を確認できなかった。報道では最短で2032年度という見通しが伝えられているが、公式ページで裏づけを取れていない
  • 投稿された記録の公開時期と範囲。基本計画はデジタルアーカイブ化して保存・公開すると書いているが、いつ、どの範囲でかは示されていない
  • 「その他、運営上の理由」の運用。どの程度使われる条項なのかは、実績が出てからでないと分からない
  • ストリートビューの内観がいつ撮影されたものか。開館中の様子が含まれているかどうかは、公開情報から判断できなかった

読者が自分で確かめるなら、名古屋城公式サイトの天守閣整備事業の進捗情報を見るのが早い。基本計画の全文PDFもここから辿れる。

なお、この募集はカレントアウェアネス・ポータル(国立国会図書館)でも2026年8月7日に取り上げられている。図書館・アーカイブの側から見ても、行政による市民記録の収集事例として記録されているということである。

出す/出さないを分ける条件

最後に、投稿するかどうかの判断材料を並べる。

出したほうがよさそうな条件

  • 開館していた頃の内観が写っている。これはもう撮り直せない
  • 1970年代以前など、古い時期の写真がある。枚数が少ない時期ほど価値が上がる
  • 展示、イベント、工事など、その日にしかなかった状態が写っている
  • 写真そのものは平凡でも、いつ・どこで・誰と、を説明できる

慎重に考えたほうがよい条件

  • 家族や友人の顔がはっきり写っていて、全員の了承を取れそうにない。事情を添えて出すこともできるが、出さない判断も尊重されるべきだと思う
  • 作品として発表や販売を予定している。権利は残るとはいえ、市が無償で使い、トリミング等の編集を行う可能性があり、個別連絡もない。この条件を受け入れられるかで決まる
  • 原本のプリントしか手元になく、返却されないと困る。返却についての記載を確認できなかったので、スキャンで出すほうが安全だと思う

写真を撮ることの多くは、後から誰かに使われることを想定していない。だから今回のような募集は、少し落ち着かない感じがする。自分のアルバムの一枚が、行政の印刷物に載るかもしれない。載らないかもしれない。どちらになるかは知らされない。

それでも、誰かが撮っておいたから70年後の復元ができたという事実が、この城には残っている。次の70年に何を渡すかを決めるのは、いま撮っている人の側である。急いで決める必要はない。締切はない。

出典と注記

確認日は2026年8月13日。募集は随時受付のため、注意事項や投稿方法は変更される可能性がある。投稿の前に公式ページを見てほしい。