「黄昏と晩鐘」——三人を並べた軸は、同じ街ではなく境界線の引き方だった

写真の見方
写真; 写真展; 禅フォトギャラリー; 梁丞佑; 星玄人; Brian Sergio; スナップ; 写真集; 六本木
4541 文字

三人展を前にして、つい共通点を探してしまう。新宿を撮った人が二人いる。ならば同じ街の記録の重なりと食い違いを見に行けばいい——そう考えて調べ始めた。

けれど公式のステートメントを読むと、そこには「異なる場所、異なる方法、異なる想いで撮られた三つの視点」と書いてある。共通の街は、この展示の軸ではなかった。

短い答え

「黄昏と晩鐘」は、同じ被写体を撮った三人を比べる展示ではない。
軸になっているのは、それぞれがどこに境界線を引いて、その線のどちら側から撮ってきたかだ。

そしてその「境界線」という言葉は、抽象的な概念として先に用意されたものではない。梁丞佑の被写体だった、ごん太という一人の人間の世界の分け方から来ている。ここが本展のいちばん面白いところであり、同時にいちばん確かめに行く価値のあるところだと思う。

この記事の前提

筆者は本展を見ていない。この記事は会期開始前の 2026年8月15日に、禅フォトギャラリーの公開情報だけを読んで書いた鑑賞前ノートである。

したがって、作品の優劣や展示の成否は判断しない。書けるのは、公開されたテキストと画像から読み取れる構造と、会場で自分が何を確かめるつもりかまでである。三人とも、筆者は原画を並べて見た経験がない。

まず事実をそろえる

項目内容
展覧会名梁丞佑、星玄人、ブライアン・セルジオ 写真展「黄昏と晩鐘」
会場禅フォトギャラリー(東京都港区六本木6-6-9 ピラミデビル208)
会期2026年8月21日(金)— 9月26日(土)
開廊火曜〜土曜 12:00–19:00、日曜・月曜・祝祭日は休廊
臨時休廊9月22日(火)、9月23日(水)は祝日のため休廊
トーク9月19日(土)17:00–18:00、梁丞佑 × 星玄人 × ブライアン・セルジオ × マーク・ピアソン、予約不要・無料
レセプション9月19日(土)18:00–19:00
併せて刊行梁丞佑『君はあっちがわ、僕はこっちがわ』完結版/星玄人『Tokyo Trippy』/ブライアン・セルジオ『Lost and Found』

会期は約5週間ある。ただし後半に祝日休廊が二日入り、トークは会期終盤の9月19日である。トークと展示を一度で済ませたいなら9月19日(土)に行くしかないが、その日は人が多いはずで、静かに壁を見たいなら別日を選ぶことになる。この二択は、最初に決めておいたほうがいい。

ダンボールの上に横たわる人物のモノクローム写真。ダンボールには手書きの文字が残っている
本展のキービジュアルとして各ページに使われているモノクローム作品。出典:禅フォトギャラリー「黄昏と晩鐘」展覧会ページ

「同じ街を並べた展示」ではない

三人の撮影地を公開情報でそろえると、重なりは思ったより小さい。

  • 梁丞佑:1998年夏の歌舞伎町で、ダンボールを敷いて夜を過ごしながら撮り始めた。歌舞伎町を居場所とする人々を撮った写真集『新宿迷子』(2016年刊)で、翌2017年に第36回土門拳賞を受けた人でもある。今回の新刊は、その歌舞伎町で出会ったごん太という人物との20年以上の関係を一冊にまとめた完結版。
  • 星玄人:新宿を中心に東京の夜を撮ってきたが、現在の主な撮影地は六本木、横浜、大阪の西成と紹介されている。今回発表するのは新宿中心の『新宿 1999-2008』ではなく、2014年以降を軸にした『Tokyo Trippy』。
  • ブライアン・セルジオ:フィリピン・マニラ在住。パンデミック期以降の写真日記が『Lost and Found』になった。

つまり「同じ新宿を別の時間軸で撮った二人+外部から一人」という読み方は、少なくとも今回の出品作には当てはまらない。星が新宿のモノクロームを出すなら成立した構図だが、出るのはカラーの『Tokyo Trippy』である。

もう一つ小さいが面白いのは、星の現在の撮影地に六本木が入っていて、会場も六本木にあることだ。この展示は、少なくとも一人にとっては撮影圏内で開かれている。それが展示に何か作用するかは分からないが、街を撮る人の展示が、その街で開かれるという事実は覚えておいていい。

「境界線」という言葉は、どこから来たか

ステートメントは、三人を三つの対句で並べている。並び順が作家の紹介順と一致していて、対応は読み取りやすい。

対句対応すると読める作家公開情報での状況
生と死梁丞佑友人ごん太の死と、そのあとに残った後悔
現実と幻星玄人無力感や虚無から免れようと街の混沌を浮遊する
喪失と回帰ブライアン・セルジオ喪失感と孤独から、写真日記を通じて精神的故郷へ戻る

そのうえで、ステートメントは「あっち側」と「こっち側」を繋ぐ写真の力、という言い方で全体を締める。

この語彙の出所がはっきりしている点が重要だ。梁の書籍紹介文によれば、ごん太の中で世界は二つに分かれていた。帰る場所があるか、ないか。それだけで「あっちがわ」と「こっちがわ」だった。梁の書名はその言葉をそのまま使っている。

つまり本展の枠組みは、キュレーターが上から与えた抽象概念ではなく、路上で暮らしていた一人の人間の、きわめて具体的な世界の分け方を借りて作られている。抽象が先にあって具体が当てはめられたのではなく、具体が先にあって、それが三人分に広げられた。この順番は、展示を読むうえで効いてくる。

ただし、広げれば必ず薄まる。梁の書名では「あっちがわ」だった語が、ステートメントでは「あっち側」になっている。表記の違い自体に意図があるかは断定できない。それでも、帰る場所の有無という切実で具体的な線が、三人に共通する比喩へ移されているのは確かだ。ここが本展の設計であり、同時に危うさでもあると思う。会場では、そのことを咎めるのではなく、線がどこまで具体のまま保たれているかを見たい。

三人のうち二人が、同時にカラーへ出ている

この展示には、写真を撮る側にとって実務的に興味深い偶然がある。三冊のうち二冊が、作家にとって節目のカラー写真集なのだ。

  • 星玄人『Tokyo Trippy』:『口笛』(2017年)以来、八年ぶりのカラー写真集。
  • ブライアン・セルジオ『Lost and Found』:作家にとって初のカラー写真集。

一方、梁の出品作は歌舞伎町のモノクロームを核にした完結版である。星についても、2024年の『新宿 1999-2008』はモノクロームのネガを見直して再編成した本だと明記されている。つまり本展は、モノクロームで街を撮ってきた文脈の上に、カラーの夜が二人分載る構成になる。

夜の路上を歩く二人をストロボで撮ったカラー写真。背景は深い黒に落ち、赤いバッグと靴だけが色として残っている
展覧会ページ掲載の東京の夜のカラー作品。作家名は個別に表記されていないが、色調と場所から星玄人『Tokyo Trippy』の系統と読める。出典:禅フォトギャラリー「黄昏と晩鐘」展覧会ページ

黄昏とネオンは、カラーで撮るには扱いにくい時間帯である。日没前後は色温度が急に動くし、夜の街は蛍光灯、LED、看板、ストロボが混ざって、一枚の中で光源の色がそろわない。暗ければ露出も長くなり、フィルムなら相反則不軌の影響も出る。ここはゴールデンタイムはいつ効くのかで書いた「低い光は形を作るが色の正確さは保証しない」という話の、いちばん厳しい側にあたる。

だから、色がそろわないことを欠点として潰すのか、そのまま街の状態として残すのかという判断が、必ず画面に出る。星のあとがきにある「行き交う人達が常に点灯を繰り返している」という言い方は、少なくとも文章の上では、そろわなさを潰さない側に見える。実際の画面がどうかは、色は写真の何を決めるのかで整理した色温度・彩度・面積の見方を持ってプリントの前に立てば、自分で判定できるはずだ。

なお、三人が何で撮り、どう出力しているかは公開情報から確認できない。星の旧作についてはネガという記述があるためフィルムだと分かるが、『Tokyo Trippy』と『Lost and Found』の撮影媒体は明示されていない。会場でプリントの粒状、ハイライトの飛び方、影の締まり方を見れば手がかりにはなるが、それも推測の域を出ない。確実に知りたければ、9月19日のトークで聞くのが最短である。

緑の傘の下、屋外の棚に置かれた人物のモノクロ肖像写真の額。周囲は熱帯の植物に囲まれている
展覧会ページ掲載のカラー作品。熱帯の植生と屋外の設えから、ブライアン・セルジオ『Lost and Found』の系統と読める。出典:禅フォトギャラリー「黄昏と晩鐘」展覧会ページ

会場で確かめたいこと

公開情報では届かない範囲を、先に書き出しておく。これは免責ではなく、行く前に決めておく見方のリストである。

  1. 展示量の配分。 三人が均等なのか、誰かが軸なのか。キービジュアルが梁の系統の一枚である以上、梁が重心である可能性は高いが、壁の面積を見るまで分からない。
  2. モノクロームとカラーの掛け方。 部屋を分けるのか、混ぜるのか。混ぜるなら、その並びが「境界線」というテーマの実演になっているか。
  3. キャプションの粒度。 撮影年と場所が個別に出ているか。出ていなければ、鑑賞者は三人を混ぜて一つの夜として受け取ることになる。それは意図なのか結果なのか。
  4. 梁の完結版が、どこで終わっているか。 ごん太の死は本の側では明示されている。展示でそれをどう扱うかは、私的な記録を公開作品にする距離の取り方そのものになる。
  5. プリントの調子。 粒状の出方、黒の締まり、ハイライトの残り方。ここは写真集で見ても分からない。

このうち3と4は、鑑賞者側の態度も試される。展示された誰かの生活を、テーマの実例として消費しないための距離をどう取るか、という問題が残る。

見に行くなら

  • 会期は2026年8月21日(金)から9月26日(土)。
  • 開廊は火曜〜土曜の12:00–19:00。日曜・月曜・祝祭日は休廊で、9月22日(火)と9月23日(水)も休廊。土曜が実質いちばん行きやすい。
  • 会場は六本木駅(都営大江戸線・日比谷線)3番出口からピラミデビル208号室。同ビルには他のギャラリーもあるため、一度で複数見られる。
  • トークは9月19日(土)17:00–18:00、予約不要・無料。三人と、ギャラリーディレクターのマーク・ピアソンが登壇する。
  • 会期・時間は変更されることがある。行く前に公式ページで再確認したい。

誰に、どの条件で効く展示か

勝ち負けを決める展示ではないので、行く理由のほうを条件で分けておく。

向いている場合

  • 街のスナップを撮っていて、自分が被写体とどの距離に立っているかを言葉にしたい人。この展示は、その距離を「境界線」という語で三通り見せてくれるはずだ。
  • 夜のカラーをどう扱うか迷っている人。同じ夜を、モノクロームの文脈とカラーの実践が並んで見られる機会は多くない。
  • 写真集から入るのが好きな人。三冊同時刊行なので、壁と本を往復できる。

急がなくていい場合

  • 新宿という街の記録として見に行きたい人。今回の出品構成では、その期待は満たされない可能性が高い。星の新宿を見たいなら『新宿 1999-2008』のほうを先に読むべきだ。
  • 技法や機材の情報を求めている人。公開情報にその軸はなく、展示も作家の内側の話に寄っている。

判断を保留していい場合

  • 会期は5週間ある。9月19日のトークまで待って、そこで作家自身の言葉を聞いてから本を買うかを決める、という順番も十分に成立する。

もしこの記事を読んで会場へ行くなら、三人の共通点を探すのはやめたほうがいい。共通点は最初からステートメントに書いてあり、しかもその共通点は借り物である。見るべきなのは、借りた枠の中で、三人の線がどれだけ違う場所に引かれたままでいられたか、だと思う。展覧会を「凱旋」や「話題」ではなく編集の構造として読む見方は、「まなざしの奇跡」東京展でも書いた。街のスナップの読み方そのものについては、森山大道をどう読むかが近い。

出典

いずれも2026年8月15日に確認した。