生成AIは写真展に入れない。でも金箔と湿板写真は入る——RPSが引いた「写真」の境界

写真と媒体
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薄い楮紙に植物写真を刷り、その表面へ金箔を置く。別の作品では、19世紀に始まった湿板コロジオン法で金属板に像を作り、撮影地を流れる川の水で洗う。塩水と目薬でPolaroidを変質させたシリーズもある。

こうした作品は、Royal Photographic Society(RPS)の International Photography Exhibition 167 に入った。ところが応募FAQには、生成AIを全体または一部に含む作品は応募できない、とある。

古い技法はよく、新しい技法はだめ、という話ではない。IPE 167の一次選考はJPEGによるオンライン応募で、編集ソフトを使った操作も認めている。RPSがここで分けたのは、アナログとデジタルでも、無加工と加工でもなかった。では、何を分けたのか。

この記事の前提

筆者は、2026年8月7日にロンドンのSaatchi Galleryで始まった本展を実見していない。以下はRPSの公式ページと応募規約、公開された展示紹介をもとに、展示内容と制度の線を読む鑑賞前ノートである。プリントの質感や会場構成の評価ではない。

技法の詳細と会期末の9月11日は、Digital Camera Worldの紹介記事で確認した。RPS公式ページでは167回目の出展者48人と8月7日の開幕を確認できるが、公開ページ間で作品点数の数え方には差があるため、ここでは総点数を断定しない。

規約が開いている扉、閉じている扉

IPE 167の応募FAQを並べると、線の形が見える。

項目IPE 167の扱い
ジャンル、プロセス、技法制限なし。あらゆる写真上のアプローチを応募可能とする
編集・操作編集ソフトによる操作を認める。記録性が重いジャンルで真正性を変えた場合は申告を求める
一次応募JPEG、sRGB、10MB以下でオンライン提出
最終選考shortlist後にプリントを提出し、RPSで選考
生成AI全体または一部に含む作品は応募対象外

つまり、RPSは画像への介入そのものを禁じていない。撮影後に色や構成へ手を入れる余地は残し、技法の入口も広く開けている。そのうえで、生成AIだけを名指しして閉じた。

金箔と湿板写真が示す幅

展示紹介で目を引くのは、Marcy Palmerの《Seeds of Strength and Resilience》だ。薬草として使われてきた植物を撮り、楮紙にプリントし、金箔を施す。RPS公式の受賞者ページは、作品が生殖をめぐる権利の歴史と現在を扱うことを説明している。金箔と楮紙についてはDigital Camera Worldが制作技法として報じている。

黒地に白い植物が輪を描き、複数の箇所へ金箔が置かれたMarcy Palmerの作品
Marcy Palmer《Pennyroyal Has Been Used for Centuries but Is Lethal in the Wrong Dose》。RPS公式ページの外部画像。楮紙の肌や金箔の反射は、実物で確認したい。

Abbey Hepnerは、かつてウラン採掘で栄え、その後消されたコロラド州Uravanの住民を湿板コロジオンで撮った。紹介記事によれば、プレートの洗浄には、埋められた町のそばを今も流れる川の水を使った。ここでは古い技法が郷愁の演出ではなく、場所に残る物質を像へ戻すために選ばれている。

湿板コロジオン法で写された白髪の女性Janeの正面向きポートレート
Abbey Hepner《Jane, third generation Uravan resident》、5×7インチ湿板コロジオン・ティンタイプ、2025年。作品:Abbey Hepner。画像掲載:Digital Camera World。

Siân Cannの《Retinopathy Forest》では、Polaroidを塩水と術後用の点眼液で変質させ、網膜症による視覚の乱れへ近づける。ほかにも映画用フィルムや熱画像があると紹介されている。

金箔はカメラが光として記録したものではない。塩水による腐食も、シャッターを切った瞬間には存在しなかった。RPSが受け入れているのは「光だけで完成した像」ではなく、撮影、支持体、薬品、物理的な手仕事を含む制作物だ。

「光を記録したか」だけでは足りない

生成AIを除外した線を、「光を記録した写真」と「生成した画像」の境界と呼ぶことはできる。ただし、それだけでは金箔と塩水を説明できない。

むしろ規約から見えるのは、作者と像のあいだにある工程を、応募者自身の制作としてたどれるかという判断だと思う。湿板の薬品、川の水、楮紙、金箔は、どこから来て、誰がどう使ったかを制作工程として語れる。編集ソフトによる操作も、応募者が自分の画像へ加えた判断として扱われる。

生成AIは、学習データと出力のあいだに、作者自身が撮影していない像の断片を持ち込む。画像の一部だけに使った場合でも、そのピクセルの視覚的な出どころを、撮影者の行為へ単純には戻せない。IPE 167は、その小さな断絶も応募実務では認めない、と決めた。

これは生成AI作品に作者がいない、という一般論ではない。プロンプト、選択、反復、編集に作者の判断はある。ここで言えるのは、RPSがIPE 167を選ぶ際、その判断を写真部門の応募資格として採用しなかった、ということだけだ。

RPSの説明も、一枚岩ではない

注意したいのは、IPE 167のFAQと、そこからリンクされるRPSのAI方針が同じ文章ではないことだ。

リンク先は2023年6月19日付の「Interim AI principles」で、生成AIがピクセル単位で新しい要素を作る行為を写真からイラストレーションへの移動と見る。一方、そこで不許可とされるのは、AIだけで生成した画像、または生成AIによる「material elements」を含む画像だ。背景の複製や被写体の除去を含むアルゴリズム処理は、撮影者の管理下にある長年の編集の延長として受け入れるとも書かれている。

さらに、この方針は「2023年の残り期間」に有効な暫定文書だと明記されている。IPE 167のFAQは、それより強く、生成AIを全体・部分使用とも不可とする。

公開されている二つの文面をきれいに統合し、RPSには完成した定義があると書くべきではないだろう。確認できるのは、IPE 167の応募時には厳しい線が使われたこと、RPS自身も何がAI由来かを見分けることは難しく、透明性と継続的な議論が必要だと認めてきたことだ。これは写真の永遠の定義というより、審査を動かすための暫定的な堤防に近い。

同じ2026年でも、境界は違う

制度の線は一つではない。同じ8月に開かれている浅間国際フォトフェスティバル2026の記事では、すべてをAIで生成したARCHIVESの《Vanitas🥺》や、Walker Evansの写真に似た像をStable Diffusionで一万枚以上生成し、そこから選んだAphicの《After Walker Evans 2》が展示されている。

浅間は、それらを写真から追い出すのではなく、撮影された像と並べて境界を問う。RPSは公募展の入口で除外する。どちらが正しいかを先に決めても、あまり多くは見えてこない。前者は境界そのものを展示できるが、後者は匿名審査で応募資格を揃えなければならない。展示の目的が違えば、線の役割も変わる。

真正性の証明を誰に配るかという問題は、Canon Authenticity Imaging Systemの記事にもつながる。RPSの規約は入口で生成物を分け、Canonの仕組みは撮影時の来歴を後から検証できるようにする。片方は資格、もう片方は証明だが、どちらも作者と像のつながりを制度へ移している。

会場で確かめたいこと

会場へ行くなら、作品の見た目から「古い」「新しい」を当てるより、キャプションに制作工程がどう書かれているかを見たい。

金箔は写真の上で光をどう変えるのか。湿板の傷やむらは、Uravanの歴史と結びついて見えるのか。塩水で崩れたPolaroidは、作者の視覚経験をどこまで伝えるのか。そして、それらの手仕事が丁寧に開示される一方で、生成AIが入口にいないことを、展示全体は観客へ説明しているのか。

筆者はまだそこを確認できていない。応募FAQは境界を示すが、壁に掛かった作品がその境界をどう感じさせるかは、実物を見なければ分からない。

規約から私に見えるのは、古い写真や無加工の写真を守る線ではない。応募者がどの素材へ、どの手で、何をしたのかを作品の側へ戻して語れること。その連続性を重く見る人には、IPE 167の線は理解しやすい。生成と撮影を往復する実践そのものを写真の現在として見たい人には、狭すぎるだろう。

写真の境界は、技術が自動的に決めてくれない。2026年の二つの展示は、同じ画像環境を前に、別々の入口を作っている。

出典