シャッターを切らない写真集——馬の腹のGoPro、3万フレームからの編集

写真の見方
写真; 写真集; GoPro; TORNADO; クロノフォトグラフィ; Eadweard Muybridge; 編集
2924 文字

馬が歩いているあいだ、画面には脚と乾いた地面がある。速度が上がると砂利が飛び、水へ入れば光った水滴が画面を塞ぐ。やがて馬の腹は暗い地平線のようになり、脚は長く歪んで、何を見ているのか分からなくなる。

その瞬間を選んでシャッターを切った人はいない。GoProはTornadoという馬の腹の下で揺れながら、動画を撮り続けていた。

Jackie FurtadoとJennifer Haareの写真集『TORNADO』は、その映像から約3万フレームを取り出し、一枚ずつ見直したところから生まれた。撮影者が制御を失った像を、写真集では誰が、どこで作品にしたのだろう。

この記事の前提

筆者は『TORNADO』の現物を見ていない。以下は版元Luhz Pressの書誌と作品解説、University of Illinoisが掲載したJennifer Haareへのインタビュー、Center for Photographic Art(CPA)のイベント案内をもとにした鑑賞前ノートである。

2026年8月5日、CPAはFurtado、Haare、写真史家Kim Beilによるオンライン講演とブックイベント「KEEP LOOKING」を開いた。公式ページには講演内容の予告があるが、8月11日までに公開された講演録や映像は確認できなかった。したがって、当日の発言として引用できるものはない。

本の骨格

項目内容
作家Jackie Furtado、Jennifer Haare
元になった映像アリゾナで制作した実験映画《VALLEY FEVER》のGoPro映像
カメラTornadoという馬の腹の下へ、ひもで緩く取り付けたGoPro
素材動画から書き出した約3万フレーム
写真集208頁、192 plates、18×26cm、ソフトカバー、挿入冊子つき
刊行Luhz Press、2025年、1000部
文章Kim Beil「The Horse in Motion: A Tableau Vivant」、Jennifer Haareの詩文
黒い表紙の写真集TORNADOと、馬の連続写真を配した黄色い挿入冊子
『TORNADO』本体と挿入冊子。作品:Jackie Furtado + Jennifer Haare。Center for Photographic Artのイベントページに掲載された外部画像。

University of Illinoisの記事は、作品を100フレーム超からなるクロノフォトグラフィと説明する。一方、版元の書誌は192 platesと記す。固有の画像が何枚あり、反復や細部の掲載をどう数えているかは、公開情報だけでは一致させられない。ここでは「約3万フレームから100枚超を選び、192 platesの本にした」と幅を残しておく。

カメラは、予定した場所から外れた

最初から馬の運動研究を作る計画だったわけではない。

Haareのインタビューによれば、二人はアリゾナで、装蹄師として働く友人を追う映画《VALLEY FEVER》を作っていた。GoProは、映画の途中へ少し奇妙な映像を入れるため、馬に緩く結んだものだった。あとで映像を見返し、人が騎乗した姿とは違う、馬の下からの混乱に気づいた。そこでEadweard Muybridgeの運動研究とのつながりも見えてきたという。

意図がなかったのではない。二人は場所を選び、カメラを馬へ取り付け、録画を始めた。ただし、どの瞬間に脚が画面を横切り、水滴がレンズを覆うかは制御していない。計画は素材を生んだが、像の細部までは命令できなかった。

馬の腹の下に置かれたGoProが、水しぶき越しに馬の脚と青空を捉えたフレーム
GoPro映像から切り出された『TORNADO』の一コマ。写真:Jackie Furtado + Jennifer Haare。University of Illinoisの記事に掲載された外部画像。

3万フレームを、見る

二人は動画の全フレームを書き出した。約3万枚。それを一枚ずつ見ていくうちに、物語と順序が少しずつ現れた、とHaareは話している。

3万という数字を、動画が残した候補の多さとしてだけ読むと、この仕事を軽く見てしまう。どのコマにも隣のコマがあり、差はわずかだ。脚の位置が数センチ違う。砂粒の密度が変わる。水滴が像を隠す前か、隠した後か。似たフレームのあいだで一枚を残す作業は、シャッターを切るより遅い。

ブレッソンの「決定的瞬間」を扱った記事では、撮影者が画面の関係を見極める時間を考えた。『TORNADO』では、その見極めが撮影後へ移っている。決定的な一枚を現場で待つのではなく、すでに流れ去った3万枚の中から、運動がどう崩れていくかを読む。

作者性は消えていない。カメラを置く人、全フレームを開く人、似た像を捨てる人、残した像を隣り合わせる人へ、細かく分かれた。

ページが、もう一度馬を走らせる

版元は、写真が本の中で螺旋を描くように進み、次第に抽象へ変わると説明する。蹄と脚は引き伸ばされ、腹は暗い風景になり、砂や水がピクセルを絵具のように見せる。巻末にはタイムコードの索引があり、各像を元の動画の時間へ戻せる構成だという。

動画は一定の速度で再生される。写真集では、読み手が止まり、戻り、数頁を一気にめくれる。元のフレームレートではなく、紙をめくる身体が馬の速度を作る。映像から切り出した静止画が、ページ上でもう一度、別の運動になる。

この働きは、写真集を読み直す記事で触れた「一枚の名作ではなく、順番を読む」という見方に近い。『TORNADO』では、順番が主題を説明するだけでなく、走る時間そのものを組み直す。

ただし、これは現物で確かめるべき部分でもある。紙の抵抗、綴じの開き方、見開きの余白、192 platesの反復が分からないまま、「疾走感がある」とは断定できない。版元が述べる螺旋と抽象化を、読者の手が同じように感じるかは未確認だ。

Muybridgeとは、逆向きに進む

Luhz PressとCPAは、作品をMuybridgeの運動研究の現代的な読み替えとして位置づける。

似ているのは、連続した像へ運動を分解することだ。違いは、何を明らかにしたいかにある。版元の説明では、Muybridgeが写真の写実性を真実の根拠として使ったのに対し、『TORNADO』はGoProが制御を失い、像が判別できなくなるほど、馬の自由と運動が現れると考える。

この対比は作品側の明確な主張であり、写真史全体の結論ではない。それでも、消費者向けアクションカメラの約束を裏返す読みとして面白い。GoProは、人が入りにくい位置から安定した映像を持ち帰る道具として売られてきた。ここでは、ひもが揺れ、砂と水がレンズを襲い、像が壊れる。その失敗が、馬を人の視点へ従わせない。

「シャッターを切らない」の限界

もちろん、カメラは動いていた。GoProがフレームを記録し、二人は録画を始めている。「シャッターを切らない写真集」は、作者の不在を意味しない。

また、偶然の像なら自動的に絵画的になるわけでもない。3万フレームの大半は本に入らなかった。制御の喪失が素材を作り、厳しい選択が作品を作った。片方だけでは『TORNADO』にならない。

撮影時に画面を完成させたい人には、この方法は遠回りに見えるだろう。大量の候補から後で意味を見つけることに抵抗があるなら、なおさらだ。一方、動画と写真のあいだ、機械の失敗、写真集の順序に関心がある人には、撮影者の仕事を分解して見せる本になると思う。

シャッターを押さなかったから、写真家がいなくなったのではない。写真家は、馬の腹の下から、3万枚を見つめる机の前へ移った。『TORNADO』を現物で確かめるなら、その移動がページをめくる指にまで届くかを見たい。

出典