写真集を読み直す——新刊、古典、身体性、日本写真史の地図

写真の見方
写真; 写真集; 写真文化; 森山大道; 深瀬昌久; Wolfgang Tillmans; Provoke
6753 文字

写真集を紹介する動画を見ると、つい「どれを買うべきか」というリストとして受け取ってしまう。
もちろん、それも楽しい。けれど、写真集は価格や希少性だけで並べると、少し見えにくくなる。

一冊の本は、作家の入口にもなるし、時代の入口にもなる。
ファッション写真から身体へ入る本もあれば、都市の荒れた断片から日本写真史へ入る本もある。新刊の軽やかさで手に取れるものと、古典として何度も戻るものでは、読む速度も違う。

ここでは、2本の動画文字起こしで写真集として紹介・言及されたものを、もう一度分類して整理する。
目的は、売れ筋の順位を作り直すことではない。どの写真集が、どの入口になるのかを見えるようにすることだ。

前提

この記事は、2本の動画文字起こしと、確認できた出版社・書店・アーカイブ等の公開情報をもとにした整理である。

筆者がここに挙げた全冊を実物で読了したレビューではない。文字起こし由来の崩れがあるため、タイトルを確認できたものと、作家名だけが出ていて特定タイトルまで確定できないものを分けて扱う。

また、価格や在庫は変わる。この記事では、購入先や相場の案内ではなく、写真集を読むための地図としてまとめる。

短い答え

中心になる写真集は、おおよそ次の五つに分けられる。

  1. 新刊・近年作として手に取りやすい本
    Valerie Phillips、Todd Hido、Petra Collins など。いまの出版物として届いている本で、入口としての鮮度がある。

  2. 写真集の古典として戻る本
    Robert Frank、Henri Cartier-Bresson、Martin Parr、Wolfgang Tillmans など。写真史や写真集文化の基準点になりやすい。

  3. 身体性、欲望、ファッションの近くにある本
    Richard Kern、Guy Bourdin、Bruce Weber、Sarah Moon、野村佐紀子など。写真の美しさと不穏さ、商業写真と私的な眼差しの境目を考える入口になる。

  4. 日本写真史、Provoke 周辺を読む本
    深瀬昌久、森山大道、The Japanese Box、中平卓馬、荒木経惟など。写真を一枚の完成度ではなく、時代のざらつきや本の編集として読む入口になる。

  5. 作家名・関連名として出たが、タイトル未特定のもの
    Joel Sternfeld、Sophie Calle、Cindy Sherman、Diane Arbus、Nan Goldin など。本文の中心リストには入れず、次に調べる作家として残す。

表紙を見ながらたどる入口

Amazon の商品ページは版違いや在庫状況で入れ替わりやすい。そこで、ここでは画像は出版社・書店の公開サムネイルを使い、リンク先は Amazon の検索結果にそろえた。まず表紙の温度から棚をたどりたい人向けの、小さな見取り図である。

写真集表紙
Valerie Phillips『Candy Cat Head』
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Valerie Phillips Candy Cat Head の表紙
Petra Collins『STAR』
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Petra Collins STAR の表紙
深瀬昌久『洋子 / Yoko』
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深瀬昌久 Yoko の表紙
森山大道『DAIDO SLIDE』
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森山大道 DAIDO SLIDE の表紙
細江英公『EIKOH HOSOE by Yasufumi Nakamori』
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EIKOH HOSOE by Yasufumi Nakamori の表紙
石田真澄『light years -光年-』
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石田真澄 light years 光年 の表紙
『The Japanese Box』
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The Japanese Box の表紙

新刊・近年作として手に取りやすい本

Valerie Phillips『Candy Cat Head』

Valerie Phillips の『Candy Cat Head』は、新刊おすすめとして拾える一冊だ。文字起こしでは作家名中心に崩れているが、内容説明と公開ページの情報から、この本として扱ってよさそうだ。

Phillips の写真は、きれいに整ったポートレートというより、相手との近さ、若さ、日常の少し乱れた空気を含む。ここで大事なのは、被写体を「説明」するより、関係の温度を残すことだと思う。

写真集の入口として見るなら、これは古典を勉強する本というより、いまの感覚で写真集を手に取るための本だ。写真が少し軽く、近く、私的な距離で届く。重い写真史の棚から入るのが苦手な人には、こういう本のほうが自然な入口になる。

Todd Hido『Intimate Distance』

Todd Hido の『Intimate Distance: Over Thirty Years of Photographs, A Chronological Album』は、改訂増補版として紹介されている。LFI の紹介でも、Aperture による新版が30年以上の仕事を時系列的に見せる本として説明されている。

Hido は、夜の家、車窓、曇った窓、郊外の静けさのようなイメージで語られやすい。明確な事件が写っているわけではないのに、何かが起きた後、あるいは起きる前のように見える。そこに彼の強さがある。

この本は、単発の代表作を見るより、作家の時間を追う入口に向く。写真集としては、「一枚の強さ」より「同じ不安が形を変えて戻ってくる」ことを見る本だろう。動画内で売上上位として扱われているのも、Hido の写真が現代の読者にとってまだかなり強い吸引力を持っていることを示している。

Petra Collins『STAR』

Petra Collins の『STAR』は、若い世代に届きやすい注目作として紹介されている。Google Books などの情報からも、架空のポップスターやファン文化をめぐる本として確認できる。

Collins の仕事は、写真とファッション、音楽、インターネット以後の自己演出が近い場所にある。ここでは、写真集は「現実を記録する本」というより、作られたスター像、見る側の欲望、ファンとしての視線を含んだ舞台に近い。

古典的な写真集に慣れている人ほど、こうした本を軽く見てしまうかもしれない。けれど、いまのイメージ文化を考えるなら、ポップスターやファン文化を写真集の形で扱うことには意味がある。写真が「誰かを写す」だけでなく、「誰かが見られる仕組み」を作るものでもあるからだ。

古典として戻る本

Robert Frank『The Americans』

Robert Frank の『The Americans』は、写真集の古典として何度も戻ってくる一冊だ。動画内でも定番写真集として紹介されている。

この本は、アメリカを美しく代表させる写真集ではない。むしろ、国旗、車、食堂、道、人種、孤独、消費の気配が、少し冷えた距離で並ぶ。写真が国家の宣伝ではなく、見慣れた国の表面をずらして見るものになった。

初めて読むと、劇的な写真が続くわけではないことに戸惑うかもしれない。けれど、その静かな違和感が残る。写真集を、名作写真の集合ではなく、一冊の編集された視線として読むなら、避けて通りにくい本だ。

Henri Cartier-Bresson の代表作

動画内では Henri Cartier-Bresson のタイトルは特定されていない。ただ、売上上位予想の文脈で出ているため、一般には『Images à la Sauvette』、英語版タイトル The Decisive Moment 周辺の代表作を指している可能性が高い。

ここは断定しないほうがよい。本文では「Cartier-Bresson の代表作」として扱う。

ブレッソンを読む意味は、瞬間を捕まえる反射神経ではなく、形と内容が一致する一瞬を見ることにある。以前の記事 ブレッソンの決定的瞬間——50mm と被写界深度と、待つということ でも書いたように、彼の写真は「速く撮る」より「整う場所に先にいる」ことを教えてくれる。

もし今回のリストから古典に一冊入るなら、ブレッソンは技術論と写真史の両方へつながる入口になる。

Martin Parr『The Last Resort』

Martin Parr の『The Last Resort』は、売上1位予想の会話中で有名作として言及されている。

この本は、リゾートの楽しさをそのまま祝う写真集ではない。色は強く、人物は近く、画面には少し過剰な消費と疲れがある。見ていて笑えるのに、どこか居心地が悪い。

Parr の写真は、批評と愛着の境目が難しい。見下しているようにも見えるし、そこにいる人々の生活感を正面から受け止めているようにも見える。この曖昧さをどう読むかが、この本の入口になる。

Wolfgang Tillmans『Wolfgang Tillmans』と『Four Books』

Wolfgang Tillmans は、Shelf 31年で一番売れた写真集として『Wolfgang Tillmans』、Taschen 1995 年版が言及されている。また、近年のまとめとして『Four Books』にも触れられている。

Tillmans の写真は、ジャンルに収まりにくい。ポートレート、クラブカルチャー、静物、抽象、政治的なイメージ、日常の断片が、同じ作家の中で行き来する。写真集として読むと、その行き来自体が重要になる。

『Four Books』は、1995 年の『Wolfgang Tillmans』、1998 年の『Burg』、2005 年の『truth study center』、2012 年の『Neue Welt』をまとめたものとして紹介されている。つまり、一冊で作家の初期から中期以後の変化を見る入口になる。

Tillmans を「若者文化の写真家」とだけ読むと、少し狭い。彼の本は、写真が壁、ページ、展示、政治、日常のどこに置かれるかを考える入口でもある。

身体性、欲望、ファッションの近くにある本

Richard Kern の写真集

Richard Kern は、長野さんの個人的おすすめとして紹介されているが、文字起こしからは特定タイトルまで確定できない。性的なイメージやファッション写真の文脈で語られている。

ここでは、具体的な一冊として断定せず、Kern という作家名の入口として扱いたい。

Kern の写真は、身体をきれいに理想化するより、欲望や視線の粗さを残す方向にある。Nan Goldin や荒木経惟が比較文脈で出てくるのも自然だ。ただし、性的なイメージを含む作家を紹介するときは、刺激の強さだけで消費しないほうがよい。誰が誰を見ているのか、写真の中で力関係がどう作られているのかまで見たい。

Guy Bourdin『Guy Bourdin for Charles Jourdan』

Guy Bourdin の『Guy Bourdin for Charles Jourdan』は、柿島さんの好きな定番写真集として紹介されている。Bourdin は Charles Jourdan の広告写真で知られ、ファッション写真の中に奇妙な物語性と不穏さを持ち込んだ写真家として語られる。

この本は、靴の広告写真という商業的な仕事を、ただの商品写真として見せない。脚、色、空間、断片化された身体、強い構図。商品は写っているが、写真の中心はしばしば商品の説明から外れていく。

ファッション写真を読む入口としては、とてもよい。なぜなら、ここでは「服や靴を美しく見せる」ことと、「見る側に不安や欲望を起こす」ことが同じ画面に入っているからだ。

Bruce Weber の複数冊

Bruce Weber は、Shelf 31年売上2位として、特定の一冊というより「とにかく売れた」という扱いで言及されている。

Weber は、男性の身体、青春、アメリカ的な健康さ、広告、ファッション、セレブリティのイメージと強く結びつく。写真集として読む場合、どの一冊かを選ぶ前に、彼の写真が作ってきた「憧れの身体」や「明るい親密さ」をどう受け止めるかが大事になる。

ここではタイトルを特定しない。動画内の扱いに合わせて、作家としての売れ方、棚の中での存在感として残しておく。

Sarah Moon の写真集

Sarah Moon も、動画内では「今日欲しい」写真集として紹介されているが、タイトルは特定できない。

Moon の写真は、ファッション写真の文脈にありながら、記憶や夢に近い柔らかさを持つ。輪郭はしばしば曖昧で、時間が少し古びた布のように見える。Bourdin が強い色と不穏な物語を作るとすれば、Moon はもっと淡く、消えそうな像のほうへ寄る。

タイトル未特定でも、Bourdin と並べて名前が出る意味はある。ファッション写真は一つの方向ではない。鋭く切る写真もあれば、溶かす写真もある。

野村佐紀子『Lirio』

野村佐紀子の『Lirio』は、中野さんのおすすめとして拾える一冊だ。文字起こしでは「リリオ」付近に崩れているが、書店情報と照らすとこの本として扱ってよさそうだ。

野村佐紀子の写真は、身体、暗さ、距離、沈黙の扱いが大事になる。男性ヌードを撮る写真家として語られることも多いが、単に被写体の属性で読むと狭くなる。見る側と見られる側の距離、暗部の残し方、写真の中で身体がどれくらい言葉を拒むかを見る本だと思う。

この分類では、Kern や Bourdin と同じ棚に置いている。ただし、同じ「身体」でも温度はかなり違う。過剰に見せる写真と、沈黙として残す写真。その差を見ると、写真集の棚は急に立体的になる。

日本写真史、Provoke 周辺を読む本

深瀬昌久『洋子 / Yoko』

深瀬昌久の『洋子 / Yoko』は、この1年の売上1位として紹介されている。深瀬の元妻である洋子を撮った代表的な写真集として知られる。

この本を読むときに難しいのは、親密さと見ることの暴力が近いところにあることだ。愛情の記録として読むこともできるが、それだけでは済まない。被写体としての洋子、妻としての洋子、写真の中で作られていく洋子像。その重なりが、見る側に少し重く残る。

写真集としては、私写真の入口になる。ただし「私的だから正直」と単純に考えると危うい。私的な写真ほど、撮る人と撮られる人の関係が強く写ってしまう。そこにこの本の強さと難しさがある。

森山大道『DAIDO SLIDE』

森山大道の『DAIDO SLIDE』は、この1年の売上3位として紹介されている。サンフランシスコでの展示やスライドの文脈と結びついている。

森山大道を読むとき、写真集はとても重要だ。単独のイメージだけではなく、反復、粗さ、都市の断片がページの流れの中で効いてくるからだ。以前の記事 森山大道をどう読むか——荒さ、複写、歩き続ける視線 でも、森山を一枚の代表作だけで読むと狭くなると書いた。

『DAIDO SLIDE』は、森山の写真を「プリントされた写真集」だけでなく、スライドや展示の経験として考える入口になる。写真が紙の上で静止するだけでなく、投影され、順番を持ち、時間を帯びる。そこにこの本の面白さがある。

細江英公『EIKOH HOSOE by Yasufumi Nakamori』

細江英公の『EIKOH HOSOE by Yasufumi Nakamori [Japanese Edition]』は、Shelf 31年売上1位予想として言及されている。

細江英公は、肉体、舞踏、文学、演出、戦後日本の芸術写真の文脈と深く関わる写真家だ。森山大道や深瀬昌久とはまた違う意味で、写真を現実の記録だけに閉じ込めない。

この本は、単独の作品集というより、細江の仕事を整理して読む入口として考えたい。日本写真史を、スナップや私写真だけでなく、演出された身体と芸術表現の側から見るための本になる。

石田真澄『light years -光年-』

石田真澄の『light years -光年-』も、Shelf 31年売上1位予想として言及されている。

石田真澄の写真は、若さや光を扱うときの危うさと魅力を同時に持つ。透明感のある写真は、簡単に消費されやすい。けれど、写真集として読むなら、そこにある時間の薄さ、近さ、季節の抜け方を見たい。

このリストの中では、Provoke 周辺の重い写真史とはかなり違う場所にある。ただ、その違いがよい。日本の写真集を語るとき、暗さ、荒さ、私性だけではなく、明るい光の中で時間をどう残すかも大事な入口になる。

『The Japanese Box』は一冊ではなく、箱として読む

『The Japanese Box』は、単体の写真集というより、Provoke 周辺の重要作を復刻したボックスとして扱うべきものだ。小宮山書店の情報では、Edition 7L / Steidl による2001年の限定復刻セットで、木製箱に収められた全6冊の構成とされている。

含まれる中心作は、次の通りである。

作家・媒体収録作
Provoke『Provoke』1〜3号
中平卓馬『来たるべき言葉のために / For a Language to Come』
森山大道『写真よさようなら / Farewell Photography』
荒木経惟『センチメンタルな旅 / Sentimental Journey』

この箱を「高価な希少本」としてだけ見ると、いちばん大事なところを取り逃がす。ここにあるのは、写真がきれいな記録であることを疑い、言葉、都市、身体、私性、印刷物としての写真を激しく揺らした時代の塊だ。

『Provoke』は、写真を分かりやすい報道や美しい構図から引き離した。中平卓馬の『来たるべき言葉のために』は、写真と言葉の関係を問い直す。森山大道の『写真よさようなら』は、写真そのものを壊すように見える。荒木経惟の『センチメンタルな旅』は、私的な関係と写真集の形式を強く結びつけた。

つまり『The Japanese Box』は、何か一冊の名作を所有するための箱ではなく、写真集という形式がどこまで不安定になれるかを見る箱だと思う。

タイトル未特定、または関連名として残す作家

文字起こしには、写真集タイトルまでは特定できないが、作家名として重要なものも多い。これらは本文の中心リストに無理に入れず、次に調べる棚として残したい。

作家・名前扱い
Joel Sternfeld棚の並びの中で言及。カラー写真、アメリカの風景を考える入口になりうる。
Mario Testino小さいブックとして言及。ファッション、セレブリティ、商業写真の文脈。
Sophie CalleShelf の棚や購入文脈で言及。写真と言葉、記録と物語の境目を考える作家。
Cindy Sherman棚にある作家として言及。セルフポートレート、演技、女性像の構築を考える入口。
Diane Arbus候補として名前が出る。ポートレート、異質さ、見ることの倫理を考える入口。
Nan GoldinRichard Kern の文脈で比較的に言及。私的な関係、身体、共同体の記録として重要。
Helmut NewtonGuy Bourdin との比較で言及。ファッション写真、権力、性的イメージの演出を考える入口。
荒木経惟深瀬昌久、Richard Kern、『The Japanese Box』の文脈で言及。私写真と写真集文化の大きな軸。
Purple雑誌・カルチャー誌文脈で言及。写真集そのものとは限らないため、別枠に置く。

この「未特定」の棚は、記事としては地味に見える。けれど、実際にはかなり大事だ。写真集を探すとき、最初から一冊に決め打ちするより、作家名や雑誌名を手がかりに棚を歩くほうがよいことがある。

どういう順番で読むとよいか

このリストを買う順番に変換する必要はない。むしろ、関心ごとに入口を変えたほうがよい。

いまの写真集の軽さや近さから入りたいなら、Valerie Phillips、Petra Collins、石田真澄あたりが自然だと思う。重い写真史を背負う前に、いまの光や身体やファン文化の中で写真集を読むことができる。

現代写真の静けさや不安に惹かれるなら、Todd Hido がよい。写真が何かを説明しすぎず、見る側の記憶を呼び込むことを感じやすい。

写真集の古典から入りたいなら、Robert Frank、Cartier-Bresson、Martin Parr、Tillmans をそれぞれ違う方向の基準点として見るとよい。Frank は編集された視線、Cartier-Bresson は瞬間と構図、Parr は消費社会への距離、Tillmans は写真の配置と時代感覚を教えてくれる。

身体やファッション写真を考えたいなら、Bourdin、Sarah Moon、Bruce Weber、野村佐紀子、Richard Kern を同じ棚に置いてみるといい。ただし、同じ棚に置くことは、同じものとして扱うことではない。鋭さ、淡さ、欲望、沈黙、広告性。その違いを見るために並べる。

日本写真史を本として読みたいなら、深瀬昌久、森山大道、『The Japanese Box』へ進む。ここは少し重い。けれど、写真集という形式が、個人の記録、都市の断片、印刷物、時代の違和感をどう抱え込んできたかを知るには避けがたい。

判断

今回のリストは、写真集の「おすすめ」としてはかなり幅が広い。新刊の軽さもある。古典もある。ファッションも身体も、Provoke 周辺の重い箱もある。

だから、ひとつのランキングとして読むより、棚の地図として読むほうがよいと思う。

写真集は、スペックのように比較できない。ページをめくる速度、紙の大きさ、写真の順番、余白、装丁、作家の時間。そういうものが一冊ごとに違う。動画で紹介された本を再分類する意味は、そこにある。

どれが一番よいかではなく、どの入口から写真を見るか。
その選び方が変わると、同じ写真集の棚も少し違って見える。

確認リスト

  1. 新刊として手に取るのか、古典として読むのかを分ける。
  2. 作家名だけの言及を、確定タイトルとして扱わない。
  3. 身体や性的イメージを含む写真集は、刺激だけでなく視線の関係を見る。
  4. 日本写真史の本は、一枚の名作より写真集の編集として読む。
  5. 価格や希少性ではなく、自分がいま知りたい写真の問いから選ぶ。

出典・確認した公開情報